■■〔1〕本書の詳細 書名:『厳しい時代のための良い経済学』(原題:Good Economics for Hard Times) 著者:アビジット・V・バナジー(Abhijit V. Banerjee)、エスター・デュフロ(Esther Duflo) 出版社:パブリックアフェアーズ(PublicAffairs / Hachette Book Group) 初版発行:2019年(ペーパーバック版序文:2021年) ■■〔2〕目次 第1章 MEGA: 経済学を再び偉大に 第2章 サメの口から 第3章 貿易の痛み 第4章 好み、欲求、必要 第5章 成長の終わり? 第6章 熱い水の中で 第7章 プレイヤー・ピアノ 第8章 正当な政府 第9章 現金とケア ■■〔3〕著者略歴 アビジット・V・バナジーとエスター・デュフロは、二〇一九年にノーベル経済学賞を受賞した世界最高峰の経済学者夫妻である。マサチューセッツ工科大学を拠点に、開発経済学および貧困削減の現場において無作為化比較試験(RCT)を用いた実証研究の潮流を切り拓いた。インドやアフリカをはじめとする世界各地の現場に分け入り、教育、医療、金融アクセス、社会保障のあり方を厳密なデータと実験を通じて検証し続けている。抽象的な理論モデルやイデオロギーの枠組みに安住せず、複雑な現実のディテールに泥臭く向き合うアプローチは、国際機関や各国の政策形成に計り知れない影響を与えた。本書では、途上国研究で培った鋭敏な実証眼を先進国が直面する移民、貿易摩擦、格差拡大、気候変動、AIと自動化などの複合的危機へと向け、人間の尊厳を中心とした新たな経済学の地平を提示している。 ■■〔4〕本書のストーリー・背景 二〇一〇年代後半以降、世界はかつてない激動と分断の時代に突入した。ポピュリズムの台頭、移民に対する排外主義の過熱、グローバル化に伴う製造業の衰退と地域社会の崩壊、気候変動をめぐる不毛な対立、さらには人工知能や自動化がもたらす雇用の先行き不安に至るまで、先進国・途上国を問わず社会の亀裂は深まる一方である。 著者らが強い危機感を抱いたのは、こうした混迷の背後で「悪い経済学」が猛威を振るっている現実であった。規制を撤廃し市場に委ねれば万事解決するという市場原理主義、富裕層を優遇すれば富が滴り落ちるというトリクルダウン神話、比較優位に基づく自由貿易は常に全員を豊かにするという単純化されたドグマである。これらの粗雑な教条は、現実の経済が持つ「粘着性」――人が簡単に故郷や職業を捨てられないという移動の摩擦や、仕事が個人のアイデンティティや尊厳に直結しているという事実――を完全に無視し、取り残された人々の生活と誇りを破壊してきた。 こうした惨状に対し、著者らは「良い経済学」を対置する。良い経済学とは、イデオロギーや直感、政治的スローガンに惑わされず、厳密な実証データと無作為化比較試験によって現実の複雑性を粘り強く紐解き、人間が尊厳を持って生きられる社会制度を丹念に設計する科学である。本書は、不毛な左右の対立を超え、傷ついた共同体と生活者を守るために経済学が本来果たすべき責任と希望を力強く語りかけた渾身のメッセージである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第1章 MEGA: 経済学を再び素晴らしいものにする ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 世論調査において、経済学者の社会的信頼度は看護師の四分の一にとどまり、気象予報士よりも低く評価されている。世間には「余命半年と宣告されたら経済学者と結婚してサウスダコタに住めばよい、毎日が永遠に感じられるからだ」という痛烈なジョークが存在する。人々の不信を招いている大きな要因は、経済学者による予測が頻繁に外れる点にある。国際通貨基金の研究者自身が明らかにしたように、同機関は一九九二年以降に起きた主要な景気後退のすべてにおいて、その深刻さを大幅に過小評価していた。さらに深刻なのは、気候変動、移民、自由貿易、格差といった現代の重大局面において、学術的な経済学者と一般市民の認識が致命的に乖離している点である。 ★ 世界各地で政治的分極化が進展し、社会の亀裂は深刻さを増している。ハンガリーからインド、アメリカ合衆国、イギリス、ブラジルに至るまで、意見は「ぶどうの房」のように一括りに固まり、相反する立場への敵意がむき出しになっている。経済的な危機においてすら、実証的な根拠ではなくイデオロギーに基づいた論争が繰り返される。二〇二〇年のパンデミック下で導入されたCARES法案の際にも、上院財政委員長のチャック・グラスリーらは追加の失業給付が労働意欲を削ぐと非難した。しかしその後の独立した複数の検証研究によれば、手厚い一時金が支給されたにもかかわらず、労働意欲の減退は確認されなかった。思い込みに基づく直感は、現実のデータによって容易に覆される。 ★ シカゴ大学ブース・スクールが実施した経済学者パネルの調査では、二〇一五年夏以降のドイツへの難民流入について、経済学者の四十パーセントが長期的にドイツ経済へ純利益をもたらすと肯定的に評価した。これに対し、一般世論の多くは難民の流入を自国の雇用や財政を脅かす破滅的な事態と捉え、専門家の知見を拒絶した。経済学者が複雑な推論過程や事実の解釈を平易な言葉で説明する努力を怠ってきた結果、公共の言論空間には不信感と陰謀論が蔓延している。かつて途上国の貧困研究で読者を得た著者らは、現代の豊かな先進国が直面している機能不全もまた、発展途上国の構造的課題と酷似していると指摘する。 ★ 経済学に求められているのは、抽象的な空中戦を繰り広げる大理論ではなく、泥臭い現場の詰まりを取り除く「配管工」の精神である。コメディ番組『ビッグバン★セオリー』では、理論物理学者が機械を修理するエンジニアを見下す場面が描かれるが、現実の社会を救うのは配管工的な実直さである。良い経済学は、先入観を排した困難な事実から出発し、行動に関する慎重な推測を立て、厳密なデータを用いて仮説を検証する。自らの仮定と推論のステップを透明に開示し、反証の可能性に常に身を晒す姿勢こそが、再び経済学の信頼を取り戻すための土台となる。 ★ これまでの経済学は、金銭的インセンティブや物質的消費、GDPの拡大ばかりを重視し、人間の本質的な欲求を見落としてきた。人間にとってかけがえのない価値を持つのは、単なる現金の受給にとどまらず、社会の中で他者から尊重され意味ある役割を果たす「尊厳」である。公的な社会保障制度や経済政策を構想する際、受給者を無力な客体として扱うのではなく、彼らの尊厳を守り自律を促す仕組みを組み込むことが極めて重要であると本書は論じている。経済学が自己目的化した数値の追求を離れ、人間の生そのものに寄り添う学問として再出発することが、危機の時代における中心的な課題として提起されている。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第2章 サメの口から ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 世界中の政治言論において、移民はあたかも自国の雇用を奪い、福祉財政を圧迫する脅威であるかのように語られ続けている。しかし現実のデータは、通念とはまったく逆の事実を突きつけている。第一に、国家間に劇的な賃金格差が存在していても、大半の人々は自発的に故郷を離れようとしない。ソマリ系の詩人ワルサン・シレは「誰も家を離れない、家がサメの口でない限り」と詠んだ。サティヤジット・レイの映画『アパラジト』で描かれたように、見知らぬ都市の刺激よりも家族や土地への愛着が人々の足を留める。深刻な経済崩壊に直面した二〇一〇年代前半のギリシャでも、若年失業率が五十パーセントを超えていたにもかかわらず、国外へ脱出した者は国民のわずか数パーセントにすぎなかった。 ★ 移動に伴う不確実性や心理的摩擦は極めて重い。トンガからニュージーランドへのビザ抽選を検証した研究では、当選して移住した者の所得は母国に残った同条件の人々に比べて跳ね上がったが、そもそも大半の住民は応募すら見送っていた。一九七三年のアイスランドの火山噴火で本土への避難を余儀なくされた若者は、島に残った世代に比べて高等教育への進学率が生涯にわたり大幅に向上したが、これも突発的な災害という外圧がなければ起きなかった。バングラデシュ北部のランプールで農閑期の飢餓(モンガ)に苦しむ住民を対象にした実験でも、都市への片道切符代に相当するわずかな交通補助を提供するだけで季節的な出稼ぎが急増し、家庭の生活水準が大きく改善することが実証された。 ★ 第二に、低技能移民の流入が現地労働者の賃金を押し下げるという決定的な証拠は存在しない。この通念を打ち破った記念碑的業績が、デイビッド・カードによる一九八〇年のマリエル・ボートリフトの研究である。キューバ政府が出国を認めたことで、短期間に十二万五千人もの難民がフロリダ州マイアミに押し寄せ、同市の労働供給は突如として七パーセントも膨張した。しかし周辺都市との綿密な比較分析の結果、マイアミの低学歴住民や黒人労働者の雇用率や賃金水準に有意な悪影響はまったく観察されなかった。大量の労働者が一度に押し寄せたにもかかわらず、なぜ市場の破綻は起きなかったのか。 ★ 経済学の初歩が教える単純な需要と供給のモデルは、移民労働の現実には当てはまらない。移民は単なる労働力の供給者であるだけでなく、自ら現地で食事をし、散髪に行き、住居を借りる消費者でもある。彼らの支出が地域経済の需要曲線を右へ押し上げ、雇用を創出する。この好循環は、国境を越えて通勤し所得を母国へ持ち帰るチェコ人労働者を対象としたドイツの国境研究において、現地の賃金が低下した事実からも逆説的に証明されている。さらに、安価な労働力の存在は産業の急速な自動化を押しとどめる。かつてカリフォルニア州がメキシコからの季節労働者(ブラセロ)の受け入れを打ち切った際、農場主は地元住民を高賃金で雇うのではなく、トマト収穫機などの機械化へ一挙に舵を切ったため、地元住民の雇用は一切増えなかった。 ★ 加えて、移民労働と現地の労働力は代替関係ではなく「補完関係」にある。言語や現地の事情に不慣れな移民が過酷な肉体労働や清掃を引き受けることで、現地の低学歴労働者はコミュニケーション能力を活かした管理職や接客サービス職へと押し上げられ、結果として賃金を伸ばした。そもそも労働者を雇う行為は、卸売市場でスイカを買うような単純な取引とは異なる。雇用関係には長期的な信頼、探索費用、作業の習熟が不可欠であり、企業は目先の賃金差だけを理由に、使い慣れた現地人を即座に解雇して未知の移民へ置き換えることはない。恐怖を煽る政治家の言説とは裏腹に、移民の流入が地域社会を破壊するという命題は実証的に否定されている。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 移民が新たな土地へ足を踏み入れる際、決定的な格差を生み出すのが個人的なつながりや人脈ネットワークの有無である。すでに同じ出身地から移住し、安定した職と生活基盤を築いている同郷者がいれば、新規の移住者は容易に仕事と住居を確保できる。しかし、そうした縁故を持たない孤立した人々にとっては、見知らぬ労働市場の壁は極めて厚い。ノーベル賞経済学者ジョージ・エイカーラフが一九七〇年に提示した「レモン市場」の理論が示すように、労働者の真の資質や信頼性を客観的に測ることが難しい市場では、確かな推薦状やつながりを持たない外部者は採用段階で排除されてしまう。その結果、市場の流動性は失われ、移動の機会そのものが閉ざされる。 ★ 都市部における過酷な住宅環境と高騰する住居費もまた、人々の流入を阻む巨大な障壁となっている。経済学者エド・グレーザーが『都市の勝利』で鋭く指摘したように、多くの先進国の大都市では過剰なゾーニング規制や中流階級による高層住宅建設への反対運動によって、新たな住宅の供給が人為的に絞り込まれている。サンフランシスコのミッション地区のように、かつて労働者階級やヒスパニック系移民が暮らしていた地域が高所得層に侵食され、家賃が天文学的な水準に達している。高学歴な知識層が集積する都市では料理人や清掃員、バリスタといった職種への需要が高まるにもかかわらず、低所得層は物理的に通勤圏内へ居住することができず、空間的な分断が固定化している。 ★ 伝統的なコミュニティに根ざした家族の絆や相互扶助も、移住を思いとどまらせる大きな要因である。カリブ海出身の開発経済学者アーサー・ルイスが喝破したように、農村部ではたとえ個人の生産性が低くても、共同体内での収穫の分かち合いによって最低限の生活が保障されている。しかし故郷を離れて単身で都市へ出稼ぎに出れば、その非公式な相互扶助の仕組みは消滅し、失業や病気が直ちに飢餓に直結する。労働時間が同じで仕事が過酷であるならば、慣れ親しんだ家族や友人の輪を離れ、不確実な都市へ飛び込む合理的理由は見出しにくい。 ★ ネパールのカトマンズやバングラデシュで行われた調査が明らかにしたのは、貧困層における極端なリスク回避の心理である。生活が生存の境界線上にある人々にとって、わずかな損失や失敗は取り返しのつかない破滅を意味する。都市の労働市場が自分の技能をどう評価するのか、適正な賃金が支払われるのか、搾取されないかといった不確実性は、計り知れない恐怖を生み出す。さらに移住の失敗は個人的な無能さの烙印として受け止められるため、人々は現状維持を選び取る。自発的な移動を促すには、単なる金銭的インセンティブの提示だけでなく、失敗した際の確実な救済と安心感の担保が不可欠となる。 ★ 人々が移動できないのであれば、企業側が低賃金と余剰労働力を求めて衰退地域へ進出すればよいはずだが、現実はそう動かない。現代の産業は、高度なインフラや関連企業、専門人材が集積した大都市に引き寄せられる性質を持つ。企業が集積地を離れようとしない結果、見捨てられた地域はますます取り残される。真の移民危機とは、国境を越える移民が多すぎることではなく、経済学者が想定するような円滑な移動が起こらず、人々が困難な土地に閉じ込められている「粘着性」にある。移動の自由と実態との断絶こそが、世界中で噴出する政治的怒りの根源をなしている。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第3章 貿易からの痛み ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 核兵器の開発者の一人である数学者スタニスラス・ウラムはかつて、経済学の学問的厳密さを疑い「真実でありながら同時に自明ではない社会科学の命題を一つでも挙げられるか」と経済学者たちを挑発した。これに対しノーベル賞学者ポール・サミュエルソンが即座に答えたのが、デイヴィッド・リカードが一八一七年に提唱した「比較優位の理論」であった。たとえ一国がすべての財において生産性で劣っていたとしても、他国に比べて相対的に得意な分野に特化して貿易を行えば、双方の国民総生産は必ず拡大する。さらにストルパー=サミュエルソンの定理は、非熟練労働が豊富な発展途上国が貿易を開放すれば、低賃金労働者への需要が高まって彼らの所得が上昇し、国内の不平等は是正されると予言した。貿易は万能の処方箋として信奉されてきた。 ★ しかし、現実の歴史は理論の青写真を無残に裏切った。一九九一年に深刻な国際収支危機に陥ったインドは、IMFなどの支援を受ける条件として急進的な貿易自由化を断行した。平均九十パーセントに達していた輸入関税は三十五パーセント前後にまで急減速され、長年国内産業を保護していたライセンス制度は廃止された。ストルパー=サミュエルソンの理論が正しければ、インドの無数の貧しい非熟練労働者が最大の恩恵を受けるはずであった。ところが、コロンビアやブラジル、アルゼンチンで起きたことと同様に、自由化が進むにつれて熟練労働者の賃金ばかりが急伸し、非熟練労働者との格差はむしろ拡大したのである。 ★ この謎を実証的に解き明かしたのが、若手経済学者ペティア・トパロバの研究であった。彼女はインド全土の地区別データを精緻に追跡し、関税引き下げによって輸入競争に最も激しく晒された産業が集積する地域で何が起きたかを検証した。全国的には経済成長に伴って貧困率が低下していたにもかかわらず、輸入の直撃を受けた地区では貧困の減少ペースが他地域に比べて著しく遅滞し、住民の生活水準が取り残されていた。貿易自由化は全国平均としての豊かさをもたらす一方で、特定の地域や産業に壊滅的な痛みを集中させていた。 ★ なぜ被災した地域の労働者は、貿易の恩恵を受けている成長産業や都市部へ移動しなかったのか。その根本的な原因こそが、教科書的な経済学が見落としてきた労働と資本の「粘着性」である。標準的な貿易理論は、輸入で打撃を受けた工場の労働者が、翌日には輸出好調なハイテク産業へ円滑に職を移すという非現実的な仮定に依存している。しかし現実には、家族の絆、住居の確保、技能のミスマッチといった摩擦によって、労働者は職を失ってもその地域に留まり続け、貧困の底に沈んでいく。資本もまた、衰退した工場から成長企業へ瞬時に組み替えられることはない。 ★ さらに、途上国が安価な労働力という比較優位を掲げても、世界市場の壁は容易には越えられない。エジプトの小規模な絨毯職人を支援した輸出実験(ハミスカーペットとATAの共同事業)では、中国の五分の一という圧倒的な低賃金にもかかわらず、国際市場が求める厳格な品質基準や納期管理を証明する「評判」の確立に激しい困難が伴った。一九九〇年代後半に台頭したインドのソフトウェア産業も、当初は国際的な信用が皆無であり、極めて薄い利幅で単純作業を引き受ける屈辱的な下積みを経て初めて市場を開拓した。富裕なバイヤーはわずかな価格差よりも信頼とブランド名を重視するため、単純な価格競争力だけで比較優位の果実を収穫することはできない。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 国際市場への参入をさらに困難にしているのが、企業個別の努力を超えた産地全体の集団的信用の問題である。ケニアのバラ輸出産業やインドのティルプールにおけるニットウェア製造に見られるように、成功した輸出産業は強固な地域クラスターを形成し、買い手との間で長期的な信頼関係を築き上げている。新興国の個別企業がどれほど優れた製品を作ろうとも、産地全体の評判が確立されていなければ、市場から正当な評価を得ることはできない。イタリアの思想家アントニオ・グラムシは「古いものは死に、新しいものは生まれない」と述べたが、既存の産業基盤が崩壊した後に新しい輸出産業が自然発生するのを待つ市場放任主義は、壊滅的な空白地帯を作り出す。 ★ この空白の残酷さを決定的に白日の下に晒したのが、二〇〇〇年代初頭のアメリカを直撃した「中国ショック」であった。中国の急速な輸出拡大は、全米に均等な影響を与えたのではなく、競合する製造業が集積していた特定の地域社会を集中的に破壊した。J・D・ヴァンスが『ヒルビリー・エレジー』で克明に活写したように、テネシー州ブルーセトンのような地方都市では、工場閉鎖に伴ってメインストリートの店舗や銀行が次々と姿を消し、街全体がゴーストタウンへと変貌した。教科書が説くように住民が他の成長地域へ移住することはなく、失業と低賃金、家庭崩壊の連鎖がその地に固定化された。 ★ 自由化を推進してきた政策担当者たちは、貿易によって一部の労働者が痛みを被るとしても、貿易調整援助(TAA)などの公的補償によって救済できると信じ込んできた。しかし現実の制度は救いようのない無力さを露呈した。実証データによれば、中国ショックで荒廃した地域に投じられた追加的な公的資金のうち、TAAから支給された金額は一人当たりわずか二十三セントにすぎなかった。再就職のための実質的な支援を受けられないまま放置された熟練労働者たちは、生き延びるための最後の手段として障害保険の受給へと追い込まれていった。市場の敗者を切り捨てる構造が、何百万人もの市民に拭いがたい屈辱を刻みつけた。 ★ 皮肉なことに、これほど甚大な犠牲を払って推進されてきた貿易の全体的利益そのものも、実際には極めて過大評価されていた。貿易経済学者アルノー・コスティノットとアンドレス・ロドリゲス=クレアの精緻な試算によれば、自由貿易がアメリカ経済にもたらす厚生上の純利益は、国内総生産(GDP)のわずか二・五パーセント前後にすぎない。巨大な経済規模と多様な国内産業を擁する国にとって、完全な閉鎖経済から貿易開放へ移行することの追加的果実は、人々が想像するほど巨額ではない。わずかな全体利益を追求する過程で、特定の労働者層に致命的な負担を押し付けることの正当性は、学術的にも大きく揺らいでいる。 ★ トランプ政権が選択した関税の引き上げや貿易戦争は、過去の繁栄を取り戻す解決策にはならない。関税は製造業の復活をもたらさないばかりか、相手国からの報復関税を招いて農業などの輸出産業に新たな打撃を与えるだけである。真に必要なのは、人間や資源が即座に移動できないという「粘着性」の現実を直視した政策の再構築である。五十五歳で長年勤めた工場を解雇された労働者が再就職できないのは個人の資質のせいではなく、構造的ショックによる不可避の悲劇である。受給要件を極限まで緩和した生活保障と、失われた尊厳を取り戻すための息の長い職業再訓練を提供することこそが、貿易の痛みに向き合う唯一の道であると結論づけられる。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第4章 好み、欲求、必要性 ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 経済学には古くから「デ・グスティブス・ノン・エスト・ディスプタンダム(嗜好については議論の余地なし)」という格言が存在する。一九七七年にベッカーとスティグラーが発表した著名な論文に象徴されるように、伝統的な経済学は個人の好みを外生的に与えられた変更不能な前提として扱い、なぜ人々がそれを欲するのかという動機そのものを問うてこなかった。しかし、人種や宗教への敵意、ナショナリズムの台頭、ポピュリスト指導者の過激化を目の当たりにするとき、好みや選好を固定された謎として放置することはもはや許されない。何が必要とされ、何が欲望されるのかという人々の価値観そのものが、社会的な文脈や他者との関係性の中で絶えず生成されている。 ★ 人々が一見して不合理な流行や集団行動に同調する背景には、「情報のカスケード」と呼ばれるメカニズムが働いている。個別の製品やサービスの真の価値を確かめるコストが高いとき、他者が下した判断は極めて有力な情報源となる。レストランなどの口コミ推薦サイトで行われた実験では、投稿直後に人工的に一度だけ高い評価を与えられたコメントは、一度だけ低い評価を与えられたコメントに比べて、五ヶ月後には最上位の評価を獲得する確率が劇的に高まっていた。初期のランダムな微小なきっかけが他者の追随を誘発し、雪だるま式に好みを形成していくように、社会的な選好は客観的価値とは無関係に増幅される。 ★ 集団の規範を守らせるメカニズムもまた、強い自己強制的性質を帯びている。発展途上国の村落において共有林の乱伐を防ぎ、資源を持続的に管理できるのは、共同体の掟を破った者に制裁を科す相互監視の網が機能しているからである。しかし、高い結束力を誇るコミュニティは、裏を返せば外部者や異端者を徹底的に排除する残酷ないじめ集団へと変貌する。独立後のインドでは、差別是正措置によって被差別カーストと上位カーストの賃金格差が一九八三年の三十五パーセントから二〇一二年までに二十二パーセントへと縮小した。しかし政治の世界では、平等の進展に対する上位カーストの強い反発から、バラティヤ・ジャナタ党への支持集中などカースト的分極化が急速に再燃している。 ★ 差別や偏見の蔓延も、単なる悪意だけでは説明できない。「統計的差別」と呼ばれる理論が示すように、雇用主や警察が個人の真の資質や危険度を正確に測定できない場合、集団全体の平均的な統計値や先入観をそのまま個人の評価に適用してしまう。黒人ドライバーがより頻繁に警察に呼び止められたり、特定の宗教集団が就職面接で敬遠されたりするのは、情報不足を補うために人種や外見という粗雑な代理指標に頼る歪んだ合理性の結果である。 ★ この統計的差別の残酷な帰結を証明したのが、「ボックス禁止(BTB)」政策の実証研究である。前科を持つ人々の社会復帰を支援するため、求人応募書類から犯罪歴を問うボックス(確認欄)を法律で削除させたところ、予期せぬ悲劇が生じた。ニュージャージー州とニューヨーク市で実施された一万五千件の架空応募実験によれば、犯罪歴の確認手段を奪われた雇用主は、若年黒人男性全体を犯罪リスクが高いと統計的に推測するようになった。その結果、前科のない黒人応募者に対する面接の呼び出し率は白人に比べて大幅に低下し、人種間格差は政策導入前よりも拡大した。善意の介入であっても、人々の信念と推論の力学を正しく見極めなければ、最悪の逆効果を招く。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 個人の能力や好みは、周囲からの偏見や社会的文脈によって直接歪められる。心理学者クロード・スティールが実証した「ステレオタイプ脅威」は、自己成就的予言の恐るべき力を示している。黒人学生に課題が「知能の測定」であると告げるだけで、単なる実験だと告げられた場合に比べて成績が著しく低下した。同様に、ゴルフの課題において「生得的な運動能力のテスト」と説明されると白人の成績が落ち、「戦略的知能のテスト」と説明されると黒人の成績が落ちた。さらにロサンゼルスの高校生を対象とした実験では、無料の進学適性試験(SAT)準備講座の申込みが同級生に公開される環境に置かれた生徒は、周囲からの同調圧力を恐れて受講を避けた。社会的評価への不安が、合理的な学習意欲を容易に麻痺させる。 ★ 人間の選好は一つに定まった固定的なものではなく、その瞬間に呼び覚まされるアイデンティティによって激しく揺れ動く。チューリッヒ大学の研究チームがプロの銀行員を被験者として実施したコイン投げ実験では、事前に職歴や業務内容を質問されて「銀行員」としての意識を喚起されたグループは、プライベートな生活を質問されたグループに比べて、報酬を得るために嘘の申告を行う割合が統計的に有意に急増した。人間は状況に応じて呼び出される複数の人格を抱えており、どの社会的文脈に置かれるかによって、表出する倫理観や選択が決定的に変化する。 ★ 人は自らの信念を客観的事実に基づいて形成しているわけではない。ノーベル賞経済学者ジャン・ティロールらが提唱した「動機づけられた信念」の理論によれば、人間は「自分は道徳的で公平な人間である」という自己像を守るために、都合の悪い事実を無意識に否認し、既存の偏見を正当化する。他者に対して差別的な感情を抱いたとき、自らを悪人だと思いたくない心理が働き、相手の側に非難されるべき欠陥があるのだという信念を構築する。二〇一六年の大統領選でヒラリー・クリントンが対立候補の支持者を「卑劣な人々」と呼んだことが最悪の結果を招いたのは、相手の道徳的自己認識を正面から攻撃し、かえって頑なな反発と信念の先鋭化を引き起こしたからである。 ★ 些細なきっかけから集団間の憎悪が自生するメカニズムは、一九五四年にムザファー・シェリフらが実施した有名な「ロバーズケーブ実験」に如実に現れている。サマーキャンプに参加した健全な少年たちをランダムに二つのグループに分け、旗を持たせて競わせただけで、少年たちは自発的に相手グループへの敵意を募らせ、宿舎への乱入や暴力的な抗争へと突き進んだ。集団への帰属意識は他集団への排外主義と表裏一体であり、この心理的傾向はルワンダにおけるツチ族とフツ族の衝突など、歴史上の凄惨なジェノサイドの温床となってきた。 ★ 自分と似た考えや属性を持つ者とだけ交わろうとする「ホモフィリー(同類志向)」は、現代の民主主義社会に深い亀裂を刻み込んでいる。一九六〇年の調査では、自分の子どもが支持政党の異なる相手と結婚することに不満を感じると答えたアメリカ市民はわずか五パーセントにすぎなかった。しかし二〇一〇年には、共和党員の約五十パーセント、民主党員の約三十三パーセントが強い不満を示すに至っている。民主党が「相続税」と呼ぶものを共和党は「死税」と呼び、SNS上では同じ陣営の意見だけを反響し合う「エコーチャンバー」が形成されている。社会が異なる島宇宙へと分断された結果、事実を共有した建設的な議論の余地そのものが失われつつある。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 言論空間の分断を決定的に加速させたのが、デジタル技術とソーシャルメディアの普及である。法学者キャス・サンスティーンが警告したように、アルゴリズムによる情報の自動カスタマイズは、ユーザーが心地よいと感じる意見だけを届ける強固なエコーチャンバーを構築した。さらに、短文投稿サイトにおける極端に切り詰められた言語表現は、相手の文脈を汲み取る市民的熟議の作法を破壊し、反射的な罵倒と敵意の拡散を常態化させた。民主主義が異なる利害を慎重に調整する場から、自陣営の規模を誇示して相手を威圧する「部族の国勢調査」へと成り下がる中で、社会の統合は根底から脅かされている。 ★ この部族主義的な亀裂を修復する鍵として期待されるのが、初期教育を通じた共生体験である。インドのデリーでは二〇〇七年から、エリート私立学校に対して貧困家庭の児童を一定割合受け入れることが義務付けられた。この政策の影響を追跡した研究によれば、幼少期から異なるカーストや階層の貧しい友人と机を並べて過ごした富裕層の児童は、他者への共感力や公平性を重視する倫理観を持続的に発達させ、被差別集団に対する差別的態度を示さなくなった。子どもの頃に形成される選好や社会的態度こそが、将来の寛容な市民社会を支える土台となる。 ★ 異集団間の接触が偏見を融解させるメカニズムは、心理学における「接触仮説」によって理論化されている。集団同士が対等な立場で、共通の目標を持ち、互いに協力し合う環境においてのみ、真の偏見解消が達成される。この仮説を鮮やかに実証したのが、インドのウッタル・プラデーシュ州で実施されたクリケット大会の実験である。異なるカーストの若者たちをランダムに混成チームに編成し、公式な試合で勝利を目指して協力させたところ、わずか数週間のプレーを通じてカースト間の偏見が劇的に消失し、日常的な友人関係へと発展した。フランス代表チームが多民族の団結によってサッカー・ワールドカップを制覇した際に見られた国民的熱狂と同様に、共通の目標に向けた協働は人為的な分断を打ち破る力を持つ。 ★ しかし、居住地域における自然な混交は極めて不安定である。ノーベル経済学者シェリングの分離理論が示すように、近隣に自分と同類の人々が一定割合いてほしいというわずかな選好があるだけで、些細な人口動態の変化をきっかけに雪崩を打って再分離が進行する。この転換点の罠を回避するためには、低所得者向け公営住宅を特定の地域に密集させず市全体へ分散配置したり、ボストンのMETCOプログラムのように少数派の生徒が郊外の質の高い学校へ越境通学できる制度を整えたりする積極的な政策介入が求められる。 ★ 偏見の津波に対抗する最も実践的な処方箋は、人々の頑なな信念や道徳的立場を正面から説得しようと試みないことである。かつて保守層から激しく拒絶されたアフォーダブル・ケア・アクト(オバマケア)が、やがて多くの共和党支持州の住民自身によって支持され守られるようになった歴史が示すように、人々は自らの日々の生活や医療という切実な利益を前にしたとき、政治的教条を乗り越えて現実的な判断を下す。人種や党派の壁を直接論破するのではなく、誰もが直面している具体的な生活の向上と経済的安定に焦点を当てることが、分裂した社会を再び結び直すための堅実な足がかりとなる。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第5章 成長の終焉? ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 第二次世界大戦の終結から一九七三年の石油危機に至る約三十年間、西欧やアメリカ合衆国は人類史上かつてない経済成長を謳歌した。この「栄光の三十年」において、一人当たり国内総生産(GDP)の年平均成長率は二・五パーセントに達し、生活水準は飛躍的に向上した。しかし一九七三年を境として、その猛烈な拡大は唐突に終わりを告げた。その後の四半世紀における全要素生産性(TFP)の伸びは、過去の三分の一にまで落ち込んだ。「高成長の時代は二度と戻らないのか」という問いに対し、経済史家ロバート・ゴードンは、電化や上下水道、内燃機関といった人類の生活を根底から変えた真に偉大な発明はすでに出尽くしたと悲観論を唱える。これに対しモキールらは、人工知能や遺伝子工学などの技術革新がやがて世界的な成長ブームを牽引すると反論し、議論は平行線をたどっている。 ★ 現代のデジタル革命が生産性統計に現れない理由として、ソーシャルメディアなどの無料サービスが持つ特異な性質が挙げられる。フェイスブックやツイッターの利用は無料であり、GDPには同社の広告収入程度しか計上されない。しかし、人々が画面の前でだらだらと時間を費やすことが、真に人々の厚生を高めているのか、あるいは単なる依存と時間の浪費を生み出しているのかを測る決定的な尺度は存在しない。デジタル技術がもたらす無限の娯楽は、統計上の生産性鈍化を覆い隠すどころか、成長の本質に関する混乱を一層深めている。 ★ 成長の減速そのものは、経済理論の観点からは決して異常な事態ではない。ノーベル賞学者ロバート・ソロウが一九五六年に打ち立てた新古典派成長モデルは、資本蓄積が進むにつれて「収穫逓減」が働き、経済はやがて定常的なバランスの取れた成長経路へと収斂していくことを数学的に証明した。戦後の焼け野原からの復興期のような爆発的な高成長は例外的な遷移状態にすぎず、成熟した富裕国において成長率が徐々に低下していくのは、物理法則のように自然な帰結である。 ★ しかし、ソロウ・モデルの最も劇的な予言であった「収束」仮説は、無残にも現実に裏切られた。資本が極端に不足している貧困国では資本の限界生産性が極めて高いため、富裕国よりも遥かに速いペースで成長し、やがて所得水準が追いつくはずであった。ところが現実の歴史において、豊かな国に追いつくことができた発展途上国は極めて稀であり、多くの国が絶望的な低迷に取り残された。経済学者ルーカスが一九八五年の有名なマーシャル講義において「インド経済を急速に成長させる確実な政策はあるのか。この問題を一度考え始めると、他のことは何も考えられなくなる」と告白したように、成長のエンジンを人為的に点火することは極めて困難な謎であり続けた。 ★ この理論的行き詰まりを打破すべく登場したのが、ローマーらによる「内生的成長理論」であった。彼らは機械や工場のような物的資本とは異なり、アイデアや知識には「スピルオーバー(波及効果)」が存在し、優れた人材が一箇所に集積することで収穫逓増が働く仕組みを解明した。シリコンバレーの成功はこの知見を裏付けているように見える。しかし、経済全体のレベルで語られる成長理論が抽象度を増す一方で、具体的にどの国が何を改革すれば成長の魔法の薬を手に入れられるのかという問いに対しては、実証データに基づいた明確な答えを出せないまま混迷を深めている。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 都市への集積が成長を生むのであれば、国家が政策的に新たなクラスターを創出することは可能なのか。エンリコ・モレッティが『新しい仕事の地理』で分析したように、巨大工場を巨額の補助金で誘致したり、テネシー川流域公社(TVA)のように大規模なインフラ整備を断行したりすることで、局地的な雇用や所得を押し上げることはできる。しかし実証研究が暴き出したのは、ある地域の成功が近隣地域からのパイの奪い合いにすぎないという冷徹な現実であった。ローマーが提唱した「チャーターシティ」のように、途上国に白紙から理想的な新都市を建設する構想も、国家全体の持続的成長を牽引する力としては実効性に乏しい。 ★ 政策立案者が頼るもう一つの定番のマントラが、「減税による成長促進」である。減税を推進する論者たちは、富裕層や企業への課税を減らせば投資と労働意欲が高まり成長が加速すると主張し続けてきた。しかし歴史的データは、この言説を真っ向から否定している。アメリカが未曾有の高成長を遂げた一九五〇年代、連邦所得税の最高税率は九十パーセントを超えていた。その後のレーガンによる大幅減税、クリントン政権での最高税率引き上げ、ブッシュによる再減税を検証しても、税率の変動が長期的なGDP成長率に何らかの影響を与えた証拠はまったく存在しない。二〇一七年のトランプ減税に際しても、多くの経済学者が長期的な成長押し上げ効果に強い懐疑の目を向けた。 ★ 税制改革が空振りに終わる一方で、米国経済の深層では産業の寡占化という深刻な構造変化が進行している。ウォルマートに代表される巨大企業が全米の小売市場や流通網を掌握したように、あらゆる業界で企業の集中度が高まり、市場の競争環境が損なわれている。ただし、独占の解体や規制強化が公正な分配のために不可欠であるとしても、それだけでかつての高成長を奇跡的に復活させられるわけではない。 ★ 発展途上国における貧困削減にとって成長が死活問題であることは疑いがないが、ここでも「確実な成長のレシピ」は幻想にすぎない。開発経済学者ビル・イースタリーが鋭く批判したように、国際機関や経済専門家がこれまで処方してきたマクロ経済の処方箋は、ことごとく予測に失敗してきた。同一の国であっても、同じ政策を採りながらある時代には停滞し、別の時代には突如として高成長を遂げる。アセモグル、ジョンソン、ロビンソン(AJR)が論じたように、長期的な経済の命運を左右するのは、過酷な植民地支配が残した収奪的な制度か、富と権利を広く分配する包括的な制度かという数百年単位の歴史的蓄積であり、外付けの政策パッケージで短期的に操作できるものではない。 ★ 二〇〇八年にノーベル賞学者マイケル・スペンスを委員長として発足した成長委員会は、世界の指導者や何百人もの専門家の英知を結集して調査を行った末、「途上国が確実に経済成長を達成するための普遍的な青写真は存在しない」という素直な結論に達した。シリコンバレーの起業家たちは、インターネットの普及や「ピラミッドの底辺」への投資といった技術的特効薬が貧困を撲滅すると熱弁を振るうが、過去数十年間の歴史はそうした安易なテクノロジー信仰を退けている。成長の秘薬を追い求める不毛な試みを捨て、日々の具体的で検証可能な生活の改善に目を向けることこそが求められている。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 途上国の生産性を根底から押し下げている構造的要因が、資本や労働の「誤配分」である。すべての成長理論は資源が最も生産的な企業へと流れることを前提としているが、現実の途上国市場は無数の摩擦と情報の遮断によって歪められている。インドのケララ州において漁師たちが携帯電話を導入した際の研究は、この誤配分の解消がもたらす巨大な効果を証明した。沖合から各港の魚の相場を即座に確認できるようになったことで、ある港では魚が投棄され別の港では供給不足に陥るという無駄が劇的に消滅した。しかし、多くの産業では担保不足や不透明な土地所有権、旧態依然とした家族経営が障害となり、生産性の高い企業に資本や技術が再配分されない膠着状態が続いている。 ★ 労働市場における誤配分の最たる悲劇は、高学歴化した若者たちによる「待ち」の現象である。インドでは十年以上の教育を受けた二十代男性の二十六パーセントが無職の状態にある。ガーナで行われた高校進学の追跡調査でも、奨学金を得て中等教育を修了した若者たちが、民間の肉体労働や零細ビジネスに就くことを自尊心から拒否し、政府の安定した事務職を何年も実家で無職のまま待ち続ける姿が確認された。教育の普及が皮肉にも中間的な職種への忌避感を生み出し、貴重な人的資源が長期的な待機の罠に沈んでいる。 ★ この公的部門への執着は、時として常軌を逸した狂乱を生み出す。インドの国営鉄道が募集したわずか九万人分の末端職員ポストに対し、実に二千八百万人もの応募者が殺到した事件はその象徴である。解雇が厳しく制限された一部の特権的な正規雇用と、無権利な非公式の労働との格差があまりに大きいため、若者たちは宝くじのような公務員試験に人生の貴重な年月を浪費する。硬直した労働市場が適切な雇用のマッチングを阻害し、経済全体の成長力を大きく削ぎ落としている。 ★ 現在急成長を遂げている新興国であっても、自己満足に浸ることは許されない。一九七九年にハーバード大学のエズラ・ボーゲル教授が『日本はナンバーワン』を著し、日本が世界一の経済大国になると喧伝された直後、日本経済がバブル崩壊と三十年に及ぶ停滞に突入した歴史は記憶に新しい。中国もまた、一人っ子政策の爪痕による急速な少子高齢化に直面しており、「中所得国の罠」を突破できる保証はない。資本の投入と模倣によって達成される初期の急成長期が過ぎ去れば、成長の勢いは必然的に失速する。 ★ 経済学が何世代にもわたって探求してきたにもかかわらず、持続的成長の深層メカニズムは依然として解明されていない。長年成長至上主義を掲げてきた国際通貨基金(IMF)ですら、成長のために弱者を犠牲にする緊縮策の過ちを認め、分配と保護の重要性を再認識している。防虫蚊帳を千枚配布することで年間五・五人の子どもの命を救えるという確かな実証研究が示すように、真に注力すべきは不確かな成長率の数値合わせではない。教育、医療、司法といった基本的な制度を地道に改善し、すべての人々の生活の質と尊厳を保障することこそが、危機の時代における確かな道であると結論づけられる。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第6章 困難な状況の中で ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 地球温暖化の進行は、経済成長の恩恵を浴びてきた富裕層と、その代償を支払わされる貧困層との間に極端な不公正を突きつけている。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書が詳述するように、世界の温室効果ガスのほぼ半分は、最上位十パーセントの富裕な人々によって排出されている(五〇―一〇ルール)。しかし、気候変動の直撃を受けて生存の危機に晒されるのは、デリーやダッカといった熱帯の発展途上国の住民である。日平均気温が三十五度を超える猛暑日が一九五七年以降激増しており、気温が三十八度を超えると屋外労働の供給は一日あたり最大一時間も削り取られる。経済基盤の脆弱な人々にとって、気候変動は日々の糧を直接奪う差し迫った暴力となっている。 ★ この過酷な現実が引き起こすのが、「エアコンのジレンマ」と呼ばれる悲劇的な連鎖である。アメリカの歴史が示すように、空調設備の普及は熱波による死亡リスクを劇的に低下させた。命を守るためにインドなどの途上国で冷房を急速に普及させることは人道的に正当な要求である。しかし、従来の冷房機器が稼働すれば膨大な電力が消費され、冷媒の漏出と相まって地球全体の温暖化をさらに一段と加速させる。今日の熱中症から命を救う行為そのものが、明日の破滅的な気候崩壊を準備するという過酷なトレードオフに、人類は直面している。 ★ 二〇〇六年にニコラス・スターン卿がまとめた『スターンレビュー』は、今すぐ世界の国内総生産(GDP)の一〜二パーセントを対策に投じれば、将来生じるGDPの五〜二十パーセントに達する破滅的打撃を回避できると論証した。炭素税の導入はクリーン技術への民間投資を促す強力な誘因となる。しかし、技術革新だけで人々の生活様式を変えずに危機を乗り切れるという「無料の昼食」の幻想は捨て去らなければならない。アメリカの連邦天候化支援プログラム(WAP)による家庭の断熱改修事業の実証評価では、実際の省エネ効果は事前予測の三分の一にとどまり、投資回収には程遠かった。工学的予測と現実の行動との間には常に大きな溝が存在する。 ★ 真の気候変動対策は、富裕国における物質的消費至上主義と無駄なエネルギー浪費の抑制に踏み込まざるを得ない。徒歩で通える距離を車で移動し、過剰な冷暖房を浪費する生活様式を見直すことは、短期的な痛みを伴うとしても十分に可能である。さらに、化石燃料の燃焼に伴う微小粒子状物質による大気汚染は、地球温暖化を待たずに今この瞬間に無数の人々の寿命を削り取っている。中国の大気汚染物質を世界基準にまで低減させるだけで、累積で三十七億年分もの人命が救われると推計されているように、環境対策は直ちに人々の生命を守る直接的な利益をもたらす。 ★ この環境危機を克服する構想として浮上したのが、「グリーン・ニューディール」である。太陽光パネルや高速鉄道などの環境インフラへ大規模な公的投資を行い、気候変動との闘いを良質な雇用の創出と経済格差の是正へと結びつけるアプローチである。歴史的に大量の温室効果ガスを排出してきた先進国が資金と先端技術を拠出し、インドをはじめとする途上国が旧式の汚染産業を経由することなく、直接クリーンな技術へと飛躍できる支援体制を確立することこそが、地球規模の正義を実現する唯一の道である。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第7章 プレイヤー・ピアノ ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 作家カート・ヴォネガットの処女作『プレイヤー・ピアノ』は、あらゆる生産活動が自動化され、機械が完璧に人間を代替した近未来のディストピアを描き出した。そこでは飢餓や物資不足は消滅しているものの、社会の中で必要とされない大多数の人間から生きがいと尊厳が根こそぎ奪い去られている。エリック・ブリンジョルフソンとアンドリュー・マカフィーが『第二の機械時代』で論じたように、現代の技術進歩はかつてのヴォネガットの悪夢を不気味な現実へと変えつつある。将来の経済成長を確信するテクノロジー信奉者たちが、同時に人間の労働者の未来に対して極めて悲観的であるという奇妙な逆説が、シリコンバレーを中心に広がっている。 ★ 技術革新が雇用に与える破壊的影響について、経済学者デイビッド・オーターは労働市場の「二極化(分極化)」という決定的な実証的知見を提示した。初期のIT革命は、計算や工場の組み立てといった「定型的(ルーチン)作業」を急速に機械へと置き換えた。その結果、高度な判断力を要する専門職と、身体的な柔軟性を要する低スキルの対人サービス職だけが生き残り、中程度の技能を持つ事務職や製造業の中間層が空洞化した。大学教育を受けていない労働者は、誇りある中間的な職業から警備員や清掃員、配達員といった低賃金の不安定雇用へと容赦なく押し出され、社会の格差を固定化させた。 ★ さらに恐るべきことは、近年の人工知能(AI)の進化が、これまで安全だと信じられていた知的専門職にまで牙を剥き始めている点である。サンフランシスコではすでにハンバーガーを全自動で焼き上げる調理ロボットが登場しているが、変化は肉体労働にとどまらない。膨大な判例を検索するパラリーガル、定常的な監査を行う会計士、ファイナンシャルプランナー、さらにはスポーツ記事を執筆する記者に至るまで、AIとの直接的な競争に晒されている。人間の秘書を一切持たず高度なAIアシスタント「フィン」に全スケジュール管理を委ねる経営者が現れているように、認知的な業務の自動化は従来の階層秩序を根底から揺さぶっている。 ★ 市場原理に任せた自動化の進展には、致命的な「負の外部性」が潜んでいる。企業が新しい省力化技術を導入して労働者を解雇するとき、企業自身は人件費を削減して利益を最大化できる。しかし、突如として職を奪われた労働者の生活を支える福祉支出や、失業の長期化に伴う健康被害、地域社会の崩壊といった膨大な社会的費用は、すべて納税者と社会全体に転嫁される。私的な便益と社会的なコストが乖離しているため、企業は社会全体にとって合理的である水準を遥かに超えて、過剰な自動化に突っ走る傾向を持つ。 ★ この過剰な自動化を人為的に加速させている元凶の一つが、歪んだ税制である。現代の多くの国家では、労働者を雇うと重い給与税や所得税が課される一方で、ロボットやソフトウェアなどの資本設備投資には手厚い減税措置や加速償却の優遇が与えられている。人間を雇うコストを不当に引き上げ、機械の導入を不当に優遇する政策は、労働者の締め出しを公的に後押ししているに等しい。韓国政府が自動化投資への税制補助を縮小したように、「ロボット税」の導入や労働課税の引き下げを通じて税制の中立性を回復し、自動化のスピードを制御しながら人間の雇用と尊厳を守る制度設計が不可欠である。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第8章 正当な政府 ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 一九八〇年代以降の英米を支配したのは、市場放任主義と政府への不信感を煽る強固なイデオロギーであった。レーガンとサッチャーは成長回復を掲げ、最高税率を劇的に引き下げ、規制を撤廃し、労働組合を徹底的に弾圧した。この政策の根底にあったのが、富裕層を豊かにすればその滴りが貧困層を潤すというトリクルダウン理論である。経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスはこの欺瞞を、十九世紀末の表現を引いて「馬とスズメの理論」と喝破した。「馬に十分なオーツ麦を与えれば、一部が道路に糞としてこぼれ落ち、それをスズメが食べることができる」というわけである。しかし約束された成長の果実は訪れず、社会契約の破壊と格差の爆発だけが残された。 ★ 経済学者トマ・ピケティとエマニュエル・サエズの膨大な歴史的データは、この転換の残酷な帰結を浮き彫りにした。一九八〇年を転換点として、アメリカにおける最上位一パーセントの所得シェアは急激な上昇へと転じ、大恐慌前の「狂乱の二十年代」の水準にまで完全に逆戻りした。対照的に、同期間の大陸ヨーロッパ諸国では税引前の不平等拡大が緩やかに抑えられていた。英米における格差の急拡大は不可避の自然現象ではなく、富裕層への課税を放棄した政治的選択が引き起こした人為的な災禍であった。 ★ 富裕層の所得急騰を正当化する論理として「勝者総取り」のハイテク革命が語られるが、実態はより生々しい制度の歪みにある。ストックオプションの普及と取締役会の報酬委員会による横並びの評価によって、企業の経営陣は自らの給与を吊り上げる手段を手に入れた。さらに、二〇〇八年の世界金融危機を引き起こした金融機関のエリートたちの高給は、社会に対する価値創造の対価ではなく、巨大な資金仲介に巣食う「地代(レント)」の私的占有にすぎなかった。富裕層の高額所得は卓越した才能への正当な報酬ではなく、市場の欠陥を吸い上げた結果であった。 ★ かつてのアメリカに存在した七十〜九十パーセントを超える最高限界税率の目的は、単に税収を得ることではなく、天文学的な役員報酬を支払う動機そのものを無力化することにあった。高い税率の下では、企業が経営者に巨額の報酬を支払ってもその大半が税として吸収されるため、超格差の発生が社会的に抑止されていたのである。サエズらの綿密な実証研究によれば、最高税率を引き上げても富裕層の実際の労働努力は低下せず、変化するのは租税回避のインセンティブにすぎない。プロスポーツのサラリーキャップ制が競技の質を落とさないのと同様に、最高税率の引き上げが経済活動を麻痺させるという言説は根拠を欠いている。 ★ 富裕層が課税に対して示す最大の抵抗は、巧妙な税逃れである。「パナマ文書」の暴露が証明したように、モサック・フォンセカのような法律事務所を通じて、世界の超富裕層はタックスヘイブンにペーパーカンパニーを築き、莫大な資産を隠蔽してきた。フランスのマクロン大統領が富裕税を廃止する一方で燃料税を引き上げようとした愚行が、激しい「イエローベスト運動」の怒りに火をつけたのは象徴的である。経済学者ガブリエル・ズクマンが提唱するように、国境を越えた国際的な金融資産の登記制度を整え、富裕税と累進課税を毅然と執行することこそが、国家の正当性を取り戻すための前提条件となる。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 格差社会における人々の苦痛を決定的に深めているのが、他者との比較から生じる相対的剥奪感である。個人の納税記録がウェブ上で完全公開されたノルウェーの実験が示すように、自らの所得順位が他者より低いことを思い知らされた低所得層は、主観的な幸福感を著しく低下させた。この比較の罠は、幼少期から「努力すれば報われる」というアメリカンドリームの神話を刷り込まれてきたアメリカ社会において、ひときわ破壊的な威力を発揮する。現実の社会的流動性が完全に凍結し、どれほど汗を流しても生活が好転しない現実に直面したとき、人々は耐え難い自己否定を避けるため、既存の社会システムや他者への激しい怨嗟を募らせる。 ★ この心理的崩壊の最も恐るべき物理的証拠が、アン・ケースとアンガス・ディートンが告発した「絶望死」の急増である。高卒以下の教育水準にとどまる中年白人労働者の間で、オピオイドなどの薬物過剰摂取、アルコール性肝疾患、そして自殺による死亡率が異常な勢いで跳ね上がった。その結果、二〇一五年から二〇一七年にかけて、先進国では前代未聞となる全米の平均寿命の連続低下という事態が引き起こされた。社会的な尊厳を剥奪され、誇りある職を失った人々の絶望は、比喩ではなく文字通り彼らの生命を奪っている。 ★ 内なる絶望は、やがて外部への激しい怒りへと転化する。オートル、ドーン、ハンソンらの研究が明らかにしたように、中国ショックによって地域経済が荒廃した選挙区ほど、穏健な中道政治家が退場し、既得権エリートや既存の制度を攻撃する過激なポピュリストが熱狂的な支持を集めた。市場原理がすべてを公正に解決するという信仰は、完全に破綻している。突然の産業閉鎖や大規模災害、健康危機に直面したとき、自力救済を促す「市場の解決策」など存在せず、政府による強力な防壁だけが人々の生存を担保できる。 ★ しかし、レーガノミクス以来撒き散らされてきた「政府は腐敗しており無能である」という教義が、国家が果たすべき正当な機能を麻痺させてきた。公務員の不正に対する過剰な潔癖主義は、かえって行政の質を破壊する。イタリアにおいて汚職根絶を目指して設立された中央調達機関「Consip」の事例では、不正を防ぐための極端に硬直した購買ルールが各部署の自律性を奪い、結果として調達費用の高騰とサービスの遅延を招いた。公務員から裁量を奪い、能力の低い集団として軽蔑する社会風潮は、優秀な人材の離脱を促し、政府をますます機能不全へと追い込む自己成就的予言となっている。 ★ ポピュリスト指導者が「政府は腐敗している」と叫びながら、自ら法の支配と行政の専門性を破壊する中で、真に求められているのは国家の正当性の再建である。メキシコで貧困家庭の教育と医療を支えた条件付き現金給付(プログレサ)のように、政府が公平で効果的な公共サービスを確実に届ける実績を積み重ねてこそ、市民の納税意欲と再分配への合意は蘇る。市場の暴力から市民を守り、社会的な尊厳を回復するための主体として政府への信頼を取り戻すことが、民主主義の崩壊を食い止める最後の砦となる。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ ■■第9章 現金とケア ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 北インドの古都ルクナウには、十八世紀に建造された巨大な複合建築バダ・イマンバラが威容を誇っている。壊滅的な飢饉に見舞われた当時、この地を治めた太守は、民衆に単なる施しを与えることを拒んだ。困窮した市民の自尊心を守るため、昼間に壮麗な建物を建設させ、夜になると別の労働者がそれを解体するという奇妙な公共事業を立ち上げ、労働の対価として日当を支払ったのである。施しによる憐憫ではなく、労働を通じた自負と尊厳の保障こそが、社会政策の原点にあるべきだという洞察がここにある。 ★ 現代において最も洗練された社会政策として脚光を浴びているのが、ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)である。すべての市民に無条件で現金を配るこの構想の最大の強みは、受給資格を審査する資力調査や官僚的な監視を全廃できる点にある。従来の福祉制度では、受給者の選別に複雑な条件が課されるため、真に支援を必要とする困窮者が排除されてしまう。インドで女性たちを対象に行われた水道接続の補助金実験でも、手続きの煩雑さや制度への不信感から利用率はわずか二十六パーセントにとどまった。UBIはこの選別の罠を根絶する魅力を持つが、国家予算を揺るがす数兆ドル規模の財政負担という巨大な壁に直面する。 ★ 所得保障の議論を常に歪めてきたのが、富裕層や中流階級が抱く道徳的選民思想である。劇作家バーナード・ショーの『ピグマリオン』で描かれたように、社会は古くから貧民に対して禁欲と勤勉を要求してきた。一九世紀ヴィクトリア朝の「救うに値する貧民」の選別から、レーガンが喧伝した架空の「福祉の女王」神話に至るまで、生活困窮者は怠惰で不正を働く存在であるという偏見が執拗に再生産された。一九九六年にクリントン大統領が主導した福祉改革法や、トランプ政権によるフードスタンプ(SNAP)への労働義務付けは、この懲罰的な道徳観の産物であった。 ★ 困窮者に直接現金を渡すことに対する根深い躊躇もまた、禁欲的なピューリタン的価値観に根ざしている。現金を渡せば酒や無駄遣いに消えるという恐怖から、政府は莫大な輸送・保管コストと汚職を生み出しながら、現物の穀物配給制度に固執してきた。しかし、受給者の主体性を信用せず、監視付きの現物や配給券で管理しようとする姿勢は、受給者から自己決定の権利と誇りを奪い取る結果にしかならない。 ★ 「無条件で金を与えれば人々は働かなくなる」という常識は、厳密な実証研究によって完全に覆されている。途上国で極貧層に家畜と少額の生活費を供与した実験では、受給者は怠惰になるどころか、家畜の飼育や小商いに精を出して労働時間を増やした。さらに、新自由主義の旗手ミルトン・フリードマンが提唱した「負の所得税(NIT)」の大規模な全米社会実験(SIME/DIME)の膨大な追跡データを検証しても、給付による労働時間の減少は年間わずか二〜四週間程度にとどまり、大半の世帯が働き続けた。人間を動かしているのは金銭の不足による飢餓の恐怖だけではなく、社会に参画し自らの有用性を実感したいという尊厳への渇望である。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 途上国において生活保障と人間の自負を両立させる試みとして注目されてきたのが、インドの全国農村雇用保証法(NREGA)である。農村のすべての成人に年間百日間の公的事業での肉体労働を法的に権利として保障するこの制度は、貧困層に確実な所得の下限を提供した。しかし、村政府(パンチャーヤト)を通じて無数の雇用を現場で生み出す作業には、官僚的怠慢や汚職といった重い統治の摩擦がつきまとう。休眠状態に陥った無数の非効率な個別補助金を整理統合し、無条件の普遍的基本所得(UUBI)へと一本化する議論が説得力を持つのは、現行制度の選別と管理に伴う疲弊を回避するためである。 ★ 先進諸国において福祉政策の再設計が急務となっているのは、単に貧困を防ぐためだけではない。ランド研究所が実施した労働環境調査が証明するように、人々が働くのは単に生活費を稼ぐためではなく、他者と交わり、社会に貢献し、自己の尊厳を確認するためである。ある実証研究によれば、長年勤めた工場で大規模な解雇に直面した熟練労働者は、その後数年間の死亡率が通常に比べて跳ね上がることが判明している。職を奪われることは単なる所得の途絶ではなく、文字通り人々の生命を縮める実存的な破壊である。ピュー研究所の調査でも、国民の六割以上が、高度な自動化によって仕事が消滅すれば人生の目的そのものを見失うと深い恐怖を表明している。 ★ この問題に対し、経済学者がしばしば模範として称賛するのがデンマークの「フレキシキュリティ」モデルである。企業には需要の変化に応じた柔軟な解雇を認める一方で、国家が手厚い失業給付と質の高い再訓練プログラムを提供し、労働者が次の職へと円滑に移行できるよう支える仕組みである。しかし、この制度をもってしても解決できない深刻な欠落がある。それは「場所とコミュニティへの愛着」である。工場が閉鎖されたとき、労働者が失うのは給料袋だけではない。地元の高校、商店街、スポーツチーム、そして何世代にもわたって培われた共同体への帰属感そのものが消滅する。人間はチェスの駒のように、手当さえ与えれば別の街へ機械的に移住できる存在ではない。 ★ 真に必要なのは、単なる現金の給付を超えて、人々が尊厳を持って参加できる良質な仕事を公的に創出する「スマート・ケインジアニズム」への転換である。政府が全員を直接公務員として雇い入れる連邦雇用保証のような壮大な計画には、インドの経験が示すように職務の管理や組織化において極めて高いハードルが立ちはだかる。より現実的で実効性の高い戦略は、政府が公共サービスの予算を大幅に拡充することで、地域社会に根ざした労働集約的な対人サービスの需要を喚起することである。 ★ その中心に据えられるべき領域が、保育、幼児教育、高齢者介護といった「ケア経済」である。狭い定型業務を機械が奪い去る時代にあって、人間的な温かみ、共感、臨機応変な対人関係の調整といった「社会的スキル」は、人工知能やロボットが最も代替しにくい人間の本質的強みである。下位所得層に生まれた子どもであっても、質の高い学校や充実した地域環境に恵まれた街(ユタ州ソルトレイクシティなど)で育てば、成人後に大学へ進学し中流階級へ這い上がる確率が劇的に高まる。ケアと教育に公的資金を投じることは、労働者に誇りある職を提供すると同時に、次世代の希望を切り拓く二重の投資となる。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 幼児教育やケア労働への公的投資は、格差の是正と良質な雇用の創出を同時に達成する重要な柱である。ジェームズ・ヘックマンが推奨した初期の実験に対し、全国ヘッドスタート計画など大規模な事業で効果の減退が見られたのは、予算制約によってフルデイ運営や家庭訪問といった質の中核が削られたためであった。エリザベス・スペルケとインドのデリーで行った実験が示すように、良質な教材と簡潔な訓練があれば、高校を卒業したばかりの教師でもスラム街の子どもたちの学習意欲を飛躍的に高めることができる。良質な保育の欠落は先進国においても女性に大きな収入格差を強いており、手厚い福祉で知られるデンマークでさえ出産後に男女間で約二割の所得格差が生じている。北欧諸国のように国内総生産の二%を高年齢者ケアに投じ、訪問支援や情報管理体制を整えつつ担い手に誇りある待遇を保障することは、社会基盤を支える不可欠な事業となる。 ★ 労働者の職業移行を促す積極的な労働市場政策も、単なる求人紹介にとどまらない大胆な再構築が求められている。失業手当を保障しながら数ヶ月にわたり医療や情報機器の保守といった専門技術の訓練を提供し、住居や交通の手配を伴走させた米国の実験では、参加者の所得が非参加者より約三割も向上した。フランスの研究でも、雇用主の採用選考を代行して費用負担を軽減することで、常勤職の採用が約一割増加したことが示されている。デンマークが国内総生産の二%を投じて失業者の四分の三を一年以内に再就職させているのに対し、米国の支出はわずか〇・一一%にとどまり、有効性が実証されている貿易調整支援制度も小規模に放置されたままである。労働者を一方的な救済対象として憐れむのではなく、経済の変化を支える移行者として敬意を払い、円滑な再挑戦を後押しする制度への転換が急務となっている。 ★ 福祉政策が直面する最大の壁の一つは、共感や尊厳を欠いた施しに対する当事者の根深い警戒心である。アビジットが国連の会議で出会った極貧困層の団体「ATD第四世界」の人々は、衣服こそ質素であったが、自らの経験と貧困の本質を対等な立場で語り、恩着せがましい慈善ではなく人間としての尊厳を要求した。同組織が立ち上げた企業「TAE」では、清掃や計算機保守の業務を通じ、単に物を与えられるのではなく互いに貢献し合う組織文化を築くことで、重い障害や深刻なうつ病を抱えた人々の社会復帰を実現している。創設者のジョセフ・レジンスキが説いたように、極度の貧困とは特定の人々の資質不足ではなく社会的な排除の結果であり、思考する人間として敬意を払い、共に歩む姿勢こそが人々の主体性を目覚めさせる鍵となる。 ★ 包括的な自立支援の有効性は、発展途上国の実践においても鮮やかに証明されている。バングラデシュの巨大民間非営利団体「BRAC」が開発した卒業事業では、最貧困層を特定して家畜などの生産的な資産を譲渡し、十八ヶ月間にわたり生活と技術を伴走支援した。その成果は十年後の追跡調査でも持続し、単なる現金の給付とは異なり、受給者を持続的な自立へと導いた。これに対し従来の社会保障制度は、スイスでかつて行われていた児童分離政策や福祉機関による過剰な介入のように、貧しい親から尊厳を奪い罰を与える傾向を長く引きずってきた。支援の仕組みが屈辱と不信を伝えるものであるならば、人々は制度に関わること自体を拒み、労働者も困窮者も等しく孤立の深みに追いやられてしまう。 ★ 個人の尊厳を軸に据えた新たな支援の枠組みは、若者の自立や非行の防止においても確かな成果を上げている。パリ近郊セナールの若者支援事業では、起業を志す失業中の若者に対し、行政の画一的な訓練を押し付けるのではなく、本人の事業構想を真剣に傾聴して自己肯定感を回復させることで、かえって安定した職業への定着率を大きく高めた。シカゴの「男になる」事業においても、暴力が日常化した環境を前提として受け止めた上で、認知行動療法を通じて状況を冷静に見極める技術を伝えることで、少年の暴力逮捕者を半減させる実績を残した。干ばつに苦しむ農民も都市の若者も職を失った熟練労働者も、直面する困難によって人間性を否定されてはならない。社会政策の真の役割は、人々の尊厳と希望を守り抜き、予期せぬ衝撃を吸収する確固たる支えとなることにある。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■■〔3〕選書結語・統合総括 標準的な経済学が描いてきた世界は、古い産業が衰退すれば労働者や資本が即座に成長産業へと滑らかに移動する完全な流動性の仮構であった。しかし現実の人間社会は、詩人エリオットが描いたような円滑な循環とは程遠く、極めて粘着質である。グローバル化や自由貿易の衝撃に晒された地域の労働者は、好景気に沸く遠方の都市へと容易に移住できるわけではない。人々は家族や友人、慣れ親しんだコミュニティとの紐帯に根を下ろしており、住み慣れた土地を離れることには耐え難い痛みが伴う。摩擦のない市場を前提とした抽象理論と、現実の生活世界が抱えるこの重い粘着性との乖離こそが、先進国と途上国の双方において格差の固定化と深い怒りを生み落とした根源であった。 ★ 人間にとって労働とは、単に日々の糧を得るための金銭的手段にとどまらず、社会的な居場所と尊厳を確立するための不可欠な礎である。市場原理主義や安易なトリクルダウン信仰は、富裕層への優遇を正当化する一方で、公的なセーフティネットを縮小し、支援を求める困窮者に罰的で屈辱的な選別を課してきた。変化の打撃を受けた人々を無力な救済対象や自己責任の敗者として遇する冷酷な姿勢は、当事者から主体性と自尊心を奪い、社会への根深い不信とポピュリズムの温床を育てる結果となった。失業や地域崩壊がもたらす最大の破壊とは、金銭的困窮そのもの以上に、人間としての誇りと希望が粉々に打ち砕かれることにある。 ★ ケインズが喝破したように、知的影響から免れていると自負する為政者や実務家は、過去の死せる経済学者の狂信的な奴隷となっていることが多い。自由貿易が万人に富をもたらすという無条件の信奉や、富裕層への減税が活力を生むという幻想は、客観的真理を装った「悪い経済学」に他ならなかった。これに対し、アフリカでの防虫蚊帳の無償配布やバングラデシュにおける包括的な自立支援が何百万もの命と生活を救ったように、現場の厳密な実証に裏打ちされた「良い経済学」は世界を真に前進させる確かな力を持っている。政策とは市場の自然な淘汰に任せる受動的な調整弁ではなく、社会の公正と尊厳を守るために人間が能動的に行使すべき力強い選択である。 ★ 本書が丹念に辿ってきた移民、貿易、分断、成長の限界、気候変動、自動化、統治、福祉という重層的な課題は、すべて粘着性と尊厳という共通の軸で結び合わされている。移民を脅威と見なす偏見やエコーチャンバーによる政治的分断も、共通の課題に向けた協働や対等な対話を通じて克服の端緒を見出すことができる。また、実体のない成長率の数字を追う狂騒から脱却し、保育や教育、介護といったケア労働に手厚い投資を行うことは、人工知能時代において機械に代替されない良質な雇用と、生活の質の持続的な底上げを同時に果たす道を開く。 ★ 混迷を深める現代において必要なのは、耳あたりの良い単純なスローガンやイデオロギーへの逃避ではない。自明に見える常識の誘惑を退け、約束された奇跡を疑い、緻密な証拠を問い続ける粘り強い理性である。経済学は普遍的な真理を上から説く予言者の教義ではなく、泥臭い試行錯誤を通じて社会の配管の詰まりを丁寧に解消していく実務的な知恵でなければならない。経済学を専門家の独占から解き放ち、人間的な世界を取り戻すための開かれた対話へとつなげることの中に、混迷の時代を生き抜く確かな光明が見出される。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■■〔4〕選書コメント ◆今週の選書について 世界中で社会の分断と政治的不信が加速し、既存の制度に対する人々の怒りや将来への不安が噴出する現代において、私たちはどのような視座を持って未来を見据えるべきでしょうか。今週お届けする『厳しい時代のための良い経済学』は、二〇一九年にノーベル経済学賞を受賞したアビジット・V・バナジーとエスター・デュフロの夫妻が、現代社会を覆う混迷の正体を解き明かし、再生への確かな道筋を指し示した世界的な名著です。 本書の際立った魅力は、難解な数式や抽象的な理論モデルに依存することなく、著者ら自身が世界各地の現場で積み重ねてきた膨大な実証研究と、現代経済学の最前線の知見を駆使して、現実の複雑な課題に真っ向から切り込んでいる点にあります。移民をめぐる根拠なき恐怖、自由貿易の歪みと地域社会の崩壊、エコーチャンバーによる党派的対立、低成長時代の分配問題、気候変動の不公正、AIや自動化による雇用の未来、そして尊厳を欠いた社会福祉に至るまで、私たちが日々直面する重要論点が圧倒的な具体性とエビデンスをもって解剖されていきます。 著者の二人は、机上の空論から政策を導くのではなく、インドのスラム街やアフリカの農村、あるいは欧米の産業衰退地域に自ら足を運び、人々の生の声と行動を直視してきました。だからこそ、本書で語られる知見は単なる客観的なデータ分析にとどまらず、制度の狭間で苦悩する生身の人間に対する深い共感と敬意に満ちあふれています。彼らは「これさえ行えば全てが好転する」といった安易な万能薬を一切提示しません。市場原理主義やトリクルダウン神話のような「悪い経済学」の欺瞞を鮮やかに論破しつつ、左右の硬直したイデオロギーを超えて、生活者一人ひとりの痛みに寄り添うための丹念な道筋を照らし出します。経済学という学問が、冷徹な効率性の追求ではなく、人々の生活と尊厳を守り抜くための実践的な力になり得ることを力強く証明した、現代人必読の希望の書といえます。 ◆「粘着質な現実」を直視し、尊厳を支える配管工としての知性 本書を通じて著者らが終始一貫して問いかけているのは、主流派の経済理論が長年見落としてきた「経済の粘着性」と「人間の尊厳」の決定的な重みです。 従来の単純化された経済モデルは、摩擦のない流動的な市場を前提としてきました。ある地域で産業が衰退しても、労働者はすぐに成長分野へと移動し、貿易や技術革新の果実はいずれ全体に行き渡るという構図です。しかし、生身の人間は都合よく動かせるチェスの駒ではありません。住み慣れた土地、家族や地域社会との絆、長年培ってきた職業への誇りを手放すことには、計り知れない苦痛が伴います。この粘着性を無視して効率性と成長率ばかりを追い求めた結果、製造業が崩壊した地域には絶望が蔓延し、取り残された人々の怒りがポピュリズムへと結晶化することになりました。 さらに著者らは、人間にとって労働とは単に金銭を得る手段ではなく、社会的な居場所を実感し、自己の存在価値を確かめるための不可欠な礎であると訴えます。したがって、冷淡な選別に基づく給付や恩着せがましい施しは、かえって当事者から自尊心を奪い、社会への不信を深めてしまいます。北欧のケア労働への投資やデンマークの労働市場政策、あるいはフランスの「若きクリエイターたち」や「TAE」の実践が示すように、相手を思考し貢献する対等な主体として尊重し、その誇りと希望を支える仕組みこそが求められているのです。 著者らは、経済学者の真の役割を、壮大な神殿を設計する建築家ではなく、泥臭く現場の詰まりを解消する「配管工」に例えています。複雑な現実から目を逸らさず、耳あたりの良いスローガンを退け、緻密なエビデンスを積み重ねて確かな制度を築いていくこと。本書が提示するこの誠実な知性は、先行きの見えない時代を歩む私たちにとって、かけがえのない道標となるはずです。